7月1日「協働について」酒井秀治さん
こんにちは。
シンクスクール事務局です。
7月1日企画コースの講義では、
毎年企画コース講義の1回目をお願いしている北海道教育大学岩見沢校美術文化専攻まちづくりデザイン研究室准教授/株式会社SS計画代表取締役/一級建築士/まちづくりプランナーの酒井秀治さんにご登壇いただきました。
酒井さんの講義は年5回あります。
卒業課題まで伴走いただくような形で受講生の皆さんとも関わっていただきます。
最初は自己紹介も兼ねて、
自分年表を書き出すワークショップを行いました。
縦軸が仕事〜プライベート。
横軸が過去〜未来、中心が現在となっている十字の図に人生を当てはめていきます。
パーソナリティが浮き彫りになり、
「人生最後の夢はロックスターなんです」というパンチラインも飛び出しました。
チームで何か作るときに大切なのは、お互いのこだわりを理解することです。
そのために自身のルーツを深掘りして共有することが大切なのです。
ディスカッションの時に相容れない状況になった時は、
こだわりがどこにあるのかを探り、なぜこだわるようになったのかをお互いに知ることが大事なのかもしれません。
続いて、レクチャーに入ります。
酒井さんは建物のペンキを運ぶ運送業を営む家庭に生まれ、
安藤忠雄の作品集に感銘を受け(住吉の長屋)建築の道を志しました。
酒井さんのまちづくりのキャリアは、
東京下町の「防災まちづくり」からスタートします。(地域計画連合)
「防災まちづくり」にとって非常に重要な出来事が、1995年阪神淡路大震災です。
木造密集市街地の建物により6000人以上の人々が倒壊で圧死してしまういたましい災害がありました。
その後の国の方針としては、
「道路の拡幅設備」「防災公園の設備」「建物の不燃化」などを掲げて大きなお金が動いていました。
酒井さんが防災まちづくりとして関わっていたのは、東京台東区根岸。
迷路のように住宅地が密集しており、
当然のことながらこの地域も震災を受けて都市開発が進みます。
しかしながら酒井さんは、
前述のようなことが「本当のまちづくりなのか?」と疑問が強くなりました。
そんなことを考えている時に、
仕事で大きな病院が移転した跡地を広場にするお話ありました。
これをどこかの民間に丸投げするのではなく
地域住民の意見を聞いて共感の輪を広げることから始めました。
まずは、小学生にどのような広場が理想か、「広場のデザインコンテスト」を行いました。
300点以上のデザインが並び、小学生の視点ならではの、
純粋な意見に大人たちもどんどん触発されます。
町内会の方々と話し合いを進めがら、
小学生のこどもたちの意見をもとに広場をどうするのか議論を進めていきます。
一つの民間に頼むと楽に設計できることも、
地域住民と議論を重ねながら取り組むことで生まれるものとして、
「住民自主管理スペース」の設置を行政が認めたのです。
そこではビオトープがあり、地域住民の方々で管理が認められているのです。
いうまでもなく、地域の方々がビオトープを管理するという接続詞があることでたくさんの交流が生まれたでしょう。
まちづくりは国や行政が主体となって進んでしまうものではなく、
その場所に住まう方々や慕う方々をはじめ、いろんな人たちがまちについて考え、進めていくものであることがわかりました。
講義の中では他にも、古民家の長屋をコミニティスペースに改築するプロジェクトや、
まちづくりと都市計画の歴史的背景、歴史の中で重要となった書籍など体系的にお話しいただきました。
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